はじめに
発達心理学は、“心の成長を正しく理解すること”が大きなテーマとなっています。
その心を成熟させていく中で、自分の心の未成熟な部分を自覚することが、人間として豊かに生きることに繋がると、佐々木正美先生の著書『子どもの心はどう育つのか』で、説いています。
身体の成長は、例えば寝返りやずり這い、ハイハイなど視覚的に捉えることができる反面、心の成長過程は、その成長段階を可視化するのは難しく、親の日々の子どもとの生活の中で、成長に“気づくことができるのか?”ということになってきます。
ゆえに、心の成長・成熟を正しく積み上げているかどうかを、親側が判断することは容易なことではないと、私は感じています。
世間一般に言われるイヤイヤ期といわれるものも、“こどもの自主性・自立心からきているものである、心の成長過程における必要不可欠なものである。”と理解できているかどうかで、大人側の子どもへの関わり方、子どもへ向ける眼差しが大きく変わります。
その心の成長の“今でしょ!”を見逃さないために、我が子の心の成熟を、育ちうる時にしっかりと育めるように、その順番の大切さをしっかりと心に刻みましょう。
育ちうるその時の発達課題を、乗り越えていけるサポートを
エリクソンの発達心理学を乳児期から辿っていくと、正しい発達の順番があるからこそ、次の発達課題にもスムーズに取り組んでいくことができます。
人を信頼できなければ、社会のルールを守ることは(自分の衝動や感情を自制すること)できない。
社会のルールを守れなければ(自分の衝動や感情を自制すること)、自ら行動することができない。
自ら行動することができなければ、友達と一緒に学び、教え合うこと(他者との関わりの中で、自分の役割を認識し習慣化していくこと)はできない。
自分の役割に向けて社会の中で動くことができなければ、自分を知ることも、信じることも、他者と共感し合えることもできない。
積み上げてきた発達課題の達成があって、その世代、その時代で、自分の役割を見つけていくことができるわけです。
それがいわゆる、人間にとっての“生きがい”に繋がってくるものだと思っています。
育ちうる時期にスルーされた発達課題
育ちうる時期に向き合わなかった発達課題は、“人間の生きづらさ”に繋がってくると、発達心理学の中では言われています。
特に乳児期は、脳の仕組みで言っても、人間の土台になってくる部分です。
この時期の一番最初の発達課題、“人を信頼すること”が不十分だった場合、自己肯定感という部分も確実に育みづらい部分になっていきます。
人への基本的信頼の獲得と安全の感情は、望んだことを望んだ通りに十分にしてもらえた子どもの方が、人を信じる力と自分を信じる力とを同時に豊かに身につけると言われています。
そもそもの絶対的味方である母親への信頼が弱いということは、母親以外の人間を信じる力も弱く、自分自身を信じる機能も身につきにくいということです。
その中で、自己肯定感を育め!と言われても、とても難しいこと。
この親子間の信頼をやり直していくのは、できないとは言いませんが、非常に難儀なことであることは、kuccaに触れてきた皆さんは分かってくれるのではないかと思います。
“今”“その時に”子どもたちの望みを叶えていくということの大切さを感じてもらえたらと思います。
ソーシャル・レファレンシングの感性の育み
最後に、この順番に心の成長を獲得していくという原理の中で、エリクソンの発達心理学とは別の視点から、アメリカで乳幼児精神医学を専門としているロバート・エムディが唱えたソーシャル・レファレンシングの感性を紹介させてください。
このソーシャル・レファレンシングは、乳幼児期(6ヶ月から1歳半くらい)に特に育まれていくと言われていますが、この感性が“社会のルールを守る、守れない”という感性に関係してくると言われています。
【ソーシャル・レファレンシングとは、社会的に色々なことを参考にしながら、引用しながら生きていくという感性のこと。】
例えば、乳児期の子どもたちが好奇心に溢れて、さまざまなものに触れていく中で、初めて触れるものや見るものに対して不安に感じた時に、親の眼差しがあるかを常に背中や視覚で確認していると言います。
好奇心に伴う不安を感じた時に、自分をフォローしてくれている温かい視線に恵まれているかどうかが、このソーシャル・レファレンシングを育む上で基本的に大切なことなのだそうです。
もう一つの側面としては、成長していく中で、例えば初めてボタンをかけられた時に、ドヤ〜する子どもの顔や嬉しそうな表情を受け取れる時期が誰しもあるかと思います。
この子どもが誇りを持った時に、その気持ちを共感共有してくれていた存在がいたかどうか。
これは、kuccaのいうコミュニス(共感共有)を親子でできたかどうか、その情緒的に共感し合う経験を繰り返してきたかそうでないか、情緒的にプラスの経験をするか、マイナスの経験をし続けるかどうかで、ソーシャル・レファレンシングの感性というものが育つか育たないかが決まります。
これが社会のルールを守れる、守れないにどう繋がっていくのかというと、社会の一員としての自覚の育ちは、基本的に、
“ルールを守れる人”は、自分たちは守り合っているんだという誇りを分かち合える。そういうプライドを他者とシェアできる感性が育まれているということ。
“ルールを守れない人”は、そういう誇りの感情を他者と分かち合えないということ。
きっと日常に起こる些細なことなんだとは思いますが、その感情をコミュニスできる関係性で在れるかどうかで、社会に出た時の違和感に気づけるか気づけないかというところにも繋がっていくのだと、私なりの仮説を立てています。
子どもの不安を自分のことのように、
子どもの喜びや誇りを我が事のように喜び誇りにしてくれる人に、恵まれること。
大きくなってから、その意味を解いて理屈で説明されても、そんな感性はすぐ身につくものではないということです。
だからこそ、育ちうるその時に、その瞬間を子どもたちと分かち合うこと、その成長にふたをしないこと。
私たち親にできることといえば、些細なことのようで、確かな順番やタイミングを間違ってはならない、大切な役割を担っています。
しかと、心に留めて。
子どもたちの心のステップアップを、楽しみながら見守ってほしいと思います。


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