【共感は道徳の根っこ】

コラム

道徳とは何かを考えるとき

「道徳」と聞くと、正しさ、善悪、ルール、あるいは“こうあるべき”という窮屈なものを
思い浮かべる人も多いかもしれません。
ですが私は、道徳のいちばん根っこにあるのは、「共感する力」だと考えています。

近年、SNSを眺めていると「多様性」という言葉を本当によく目にします。
本来とても大切で、社会を柔らかくするはずの言葉です。
けれど同時に、その使われ方に違和感を覚える場面も少なくありません。

多様性を掲げながら、実際には「自分を正当化するため」にだけ使われていたり、
自分の立場や意見には“多様性だから”という免罪符を貼るのに、
他人が違う意見を出した瞬間、とくにそれが少数意見であった瞬間に、
「それは間違っている」「それは認められない」
と正しさを振りかざす。そんな光景を、私は何度も見てきました。

でもここまで書いていて思ったのが、結構これは「ルール」という枠が存在する至る所で目にしてきたかもしれません。
(例えば小学校とか、中学校とかw)

でも、ここで一度、立ち止まって考えてみたいのです。
道徳とは、本当に正しさを主張する力なのかということ。

共感とは「同意」でも「迎合」でもない

冒頭で私は、道徳のいちばん根っこにあるのは、「共感する力」だと考えていると言いましたが、
じゃあこの「共感」とはなにか。

私が考える共感とは、相手の意見に賛成することでも、自分の考えを曲げることでもありません。
ましてや、自分を否定してまで相手に合わせることでもありません。

共感とは、
「なぜこの人はそう考えるのだろう?」
「この人はどんな経験や背景から、この言葉を発しているのだろう?」
と、一度その人の立場に想像力を伸ばすことです。

自分の考えは自分の考えとして持ったままでいい。
変えなくてもいい。

ただ、違う意見に対して、
「そういう考え方もあるんだな」
と《そっと受け取る》
ここで大事なのは、「受け入れる」と「受け取る」は違う、という点です。
受け入れる必要はありません。納得できなくてもいい。
けれど、相手の存在や思考そのものを否定しない。
その姿勢こそが、共感の第一歩だと思うのです。

共感がなければ、道徳はただの武器になることも

共感を欠いた道徳は、時にとても危険だと私は思います。
ある種の危険な宗教も、もしかしたらこのメカニズムなのかもしれないと思います。

それは「正しさ」という名の武器になり、

  • 声の大きい人が勝つ
  • 多数派が少数派を黙らせる
  • 不安や恐れを抱えた人を切り捨てる

そんな構図を生み出します。

SNSでよく見かける論争も、まさにここが根っこにあります。

最近スレッズやXで見るプチ炎上のテーマもここかなと思って見ています。
そもそも、SNS自体言論の自由があって、(もちろん人を貶めたり、非難するのはダメですが)
その人の意見を言うのであれば、自由なはず。
けれども、そういう意見なのか、ではなんでそういう意見なのかに争点が行かず、
そもそも合っているか間違っているかの話になる。
(そうやってプチ炎上しているやり取りを見ているのは面白いww)

多くの場合、論点そのものよりも先に、
「それは正しい/間違っている」
というラベル貼りが必ず起こっています。そしてこれが炎上のコツ(失敬)炎上の元なんだと思います。
だって、どっちの意見もおそらく正しいのだから。
これが多様性であり、いろんな考えがあるという民主主義であるから。

でも、本来はその前にあるはずなのです。
「この人は、何を軸としてこの意見を持っているのか」
という問いが。

共感は、人間の発達の土台でもある

心理学や発達の分野では、共感は後天的に育つ力だと考えられています。

乳幼児期、子どもはまず「自分が快か不快か」を感じます。
その感覚を、言葉や表情で大人に受け止めてもらう経験を重ねることで、

  • 自分の感情に気づく
  • 他人にも感情があると知る
  • 他人の痛みを想像できる

という力が育っていきます。

エリクソンも、人の発達段階の中で「信頼」や「相互性」が人格形成の基盤になると述べています。
信頼の土台があるからこそ、人は他者に関心を向け、共感しようとするということ。

また、霊長類研究や神経科学の分野では「ミラーニューロン」という仕組みが知られています。
他者の行動や感情を見たとき、自分の脳内でも似た反応が起こる。
この仕組みが、人間が共感できる生き物であることの生物学的な裏付けだとされています。

つまり、共感はきれいごとではなく、
人が社会的に生きるための本能的な基盤なのです。


有名人の言葉に見る「共感と道徳」

例えば、哲学者アダム・スミスは『道徳感情論』の中で、
道徳の出発点を「同感(sympathy)」だと述べています。
人は理屈より先に、他者の感情に心を動かされる存在であり、そこから善悪の感覚が生まれる、と。

また、心理学者カール・ロジャーズは、
「理解されると、人は変わる」
と語りました。正されるからではなく、
理解されるから人は自分を見つめ直せる。ここにも、共感の力が表れています。

でも、だからこそ、共感を理解したAIは怖いですね…。
(この話は、話が逸れて大きくなりそうなので一旦置いておきますw)

多様性を本当に大切にするということ

多様性とは、「何でもありの免罪符」ではありません。
近年、そういう切り札で使っていることの多い事ヨ。違うぜよ。
切り札ではないのと同時に、「自分と違う意見を排除しない」ことでもあります。

自分の考えを大切にしながら、違う考えが存在する余白を残す。
この余白こそが、多様性であり、その余白を支えるのが、共感なのだと思うのです。

共感は、白黒をつけるためのものではなく、
グラデーションを保つための力。

kuccaが大切にしている育児や暮らしの根っこにも、私はこの姿勢が通っていると感じています。
正しさよりも、まず共感。

それが、道徳の根っこであり、
人が人として一緒に生きていくための、いちばん目立たなく、でも強い力なのではないでしょうか。

道徳はこういったことを、子どもと一緒に考える時間にして欲しいし、
これは出来ればご家庭でも、「難しい」となってもいいので、
一緒に話せる時間を作ってほしいなと思います。

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