子どもとの関係性の構築が、kucca性教育の大きな柱
諸井のコラム①を読んだり、kuccaの性教育講座を受講された方は、
性教育において最も大切なことは、
性の知識を伝えることではなく、「子が疑問に思ったことを確認できる親との関係性である」ということを、理解されていると思います。
“性教育”と聞くと、SEXのことについてどう説明するのか?ということが一人歩きしているような印象を受けます。
そのことが世の中で「性教育=ハードルが高い」と感じるひとつの要因になっていると感じています。
現在、親である多くの大人たちも、“性の話はタブー”という中で育ってきているので、自身の経験を踏まえても、タブーならタブーなりに、親を介さず、友達からの話やネット、本などで情報を得てきた方が非常に多いですね。
そんな大人たちが、いざ子どもへ“性教育”と言われても、何をしたらいいかわからなくなるのだと思います。
私の子どもの時の経験から
私は小4の頃、卵子と精子の存在を知り、卵子と精子が出会ったら、どうやって女の人のお腹の中に入るのだろう?という疑問が頭の中でぐるぐるして、
当時母に質問を繰り返していました。
私なりに考えて、「卵子と精子を取り出したものを試験管に入れて飲み込むの?」
など、自分なりに考えたことを話しながら、母にしつこく聞いていました。
その度に、なんとなくはぐらかされて答えてもらえない。
でも自分の疑問はずーっと残ったまま。
またいつものように質問を投げかけた時、
母に「パパとママがエッチなことするの!それが聞きたかったんやろ!」と怒られました。
咄嗟に、いけないことを聞いてしまったのではないか、怒らせてしまったのではないかということがぐるぐるして、子ども部屋に逃げ込んだ苦い記憶があります。
そもそも、卵子と精子が出会うのに、エッチをするということがどういうことか、なんでエッチなことするのか、当時の私は、意味がわからない状態でした。
だからそのアンサーをもらっても、私の中での疑問は消えることはありませんでした。でももう、この質問は母にはできないなと、それだけが残りました。
母との関係性は悪くなかったと思います。なんでも話したし、なんでも聞いていました。だから、この一般的にタブー視されてきた内容を、さらっと聞けていたのだと思います。その後も、母との関係性に悩んだことは私の記憶の中ではありません。
でもこの出来事だけは、私の中では悲しい記憶のひとつとして強く残っています。
母は、きっと“正しい知識を伝えなければならない、でもまだこの子には早すぎる”と思い込んでいたのもあると思うし、
私の母自身が19歳で私を妊娠し、20歳で同い年の父と授かり婚という経緯の中で、母にとって性の話は、きっと心の中では触れたくない、子どもたちに伝えづらいものになっていたのだろうなと、、
うまく話せないもどかしさが怒りとなって込み上げてきたのではないか、今ならそう推測します。
でもこの経験を経て、私が娘たちに性を伝える時、この自分が感じた想いを感じてほしくないと強く思いました。
だから、kuccaの諸井さんと性教育講座制作に臨んだわけですが、
性教育を学べば学ぶほど、性の話だけはしてくれなかった母だけど、
当時とても若い母親であったにも関わらず、
本当に丁寧に大切に育ててもらったなと感じているし、
日常の中でたくさんの種を蒔いて、積み上げていてくれたんだなとしみじみと感じることができました。
性教育は特別なことではなく、あくまでも日常の延長線上にあると私が実感できたのは、自分の幼い頃の記憶を引っ張り出しても、母から与えてもらったものが、日々の中でたくさんあったと感じることができたからだなと思っています。
性とは、身体のこと、自分のこと。
性教育の“性”とは、”自分のこと、身体のことすべて”です。
一般的な性教育では、身体に起こる大人になっていく上での成長、変化、いのちの営み、巡り、循環などにフォーカスされ、知識を伝えていくことを目指していきますが、kuccaとして大切にお伝えしているのは、
この身体の成長に伴う、心の成長についても性教育の上では大切に伝えてほしい。ということ。
思春期に入り、イライラすることや親に対してなんだかムカつく気持ちが出てくることは、おかしいことではないということ。
特に小学校3年生あたりから、早い子であればホルモンの影響を受けてイライラしやすくなるような子もいます。心と身体の変化に戸惑うのは、子ども本人であり、親が代わってあげることはできません。
こうした見た目にわからない成長もたくさんあるんだよと、伝えてあげることは、とても大切。その子自身が、知ることで安心できる材料になります。
性教育で伝えている身体や心の成長・発達のことは、人間が本能的に知りたいと思うことばかり。
小さな頃から、自分の身体に起こること(排泄の自立に向かう過程や第二次成長における体や心の変化など)に、丁寧に接してもらえた子たちは、
自分の身体、心をで自分を大切にするということも、しっかり理解していくはずです。
自分のことを知り、理解し、自らの心身のコントロールを、自分主体で行っていくこと
大きく考えれば、性教育とはこの事を、
健全に確かに歩めるように、親子での関係性を整えていくという所に繋がっていくと私は思っています。
その歩みの中で不安になることや、分からないことを、しっかり大人として人生の先輩として、サポートしていく。
身体のことも、心のことも、プライベートだからこそ、他者に容易に話せることではありません。
だからこそ、近くで見守る家族の中で、話すこと、対話することができたら、
きっと自分自身をしっかりと肯定することができるはずです。
“誰に”肯定してもらえるか、というのはとても大切。子どもたちにとって、大切な意味を持つ“認めてもらえる”という感覚は、やはり家族から与えてもらえることが、何よりの心の基盤になるはずです。
だから、幼少期の性教育は、遅れて効いてくる “こころの栄養”だと、私は考えます。
みなさまも、子どもたちに、コツコツと “こころの栄養”送っていきましょう。


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